【合格体験記】鶴丸現役、学年100位から東京大学文科三類への逆襲とその軌跡

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こんにちは、郷中塾の宮園です。

今回はタイトルの通り、

高校2年生の時は鶴丸高校学年100位
高校3年生の東大冠模試E判定

そんな絶望的状況から、東京大学文科三類に大逆転合格を果たした鶴丸高校現役生のC・Kさんのお話です。

・現役で東大に合格するには何をしたらいいのか?
・学力を上げるには何が必要なのか?

この合格者インタビューを通して、Kさんの奇跡的な大逆転劇の極意をご覧ください!

序章:東大文三に逆転合格した感想

 
Kさん、まずは東京大学文科三類、合格おめでとう!
学年順位100位からのスタートで、高3秋の東大模試でE判定という結果で苦しい時期もあったと思います。
合格発表の瞬間、自分の番号を見つけた時の気持ちを教えてください。
 

【C・Kさん】

ありがとうございます!

まさか本当に東京大学文科三類に合格するなんて思っていませんでした!

本格的に東大を目指した時期が遅かったですし、試験本番での英語の手応えが良くなかったので、とても不安でした。

合格発表当日は一人で見るのが怖かったし、宮園先生と一緒に合格発表を見たかったので、郷中塾で待機していました。

 
Kさんから「先生、一緒に合格発表を見ましょう」って言われた時、Kさんの不安や緊張が私(宮園先生)にも一気に伝播しましたよ。
「了解!」って承諾したのを鮮明に覚えています。
 

【C・Kさん】

宮園先生と見た方が心強かったので、サプライズでお願いしちゃいました(笑)。

合格発表の12時前から、先生と一緒にパソコンの画面前でドキドキしながら待機していました。

12時になるとパソコンの画面に合格者の受験番号が表示されて…

「正直ダメだろうな」と思いながら文科三類の合格者一覧を見てたら、
宮園先生が突然、

「Kさん、いたよー!!!」

って言われて、「え?合格してる!?」って、喉の奥から絞り出すような声が出ました。

受け入れる準備をしてなかったので、何度も受験番号を見返しましたが、東京大学文科三類の合格者受験番号に私の受験番号がありました。

宮園先生と二人で「ギリギリ間に合ったー!!!!」ってハイタッチしながら安堵の声が揃いましたね(笑)。

実は受験翌日、宮園先生が試験本番の問題を全科目解いてくれて、

「Kさんの合格率ですが、私の体感では50%です」

と言われてたので、本当にギリギリだったんだと思います。

高校3年生の秋に受けた東大模試では「数学3点/80点、偏差値42.2、E判定」という、どうしようもない結果でしたし…

鶴丸高校で学年順位が100位だったところから、東京大学に合格するなんて夢のようです!

最後まで宮園先生を信じて頑張ってよかったです。

第1章:「学年100位」という現実

1-1.鶴丸高校という「壁」と、失われた自信

 
入塾前の高校2年生の春から振り返りましょう。
当時のKさんは鶴丸高校に合格しましたが、学校をうまく活用できず、成績が停滞していましたね。
 

【C・Kさん】

そうですね。

今振り返っても、あの頃は部活動の音楽部は忙しいし、予習や復習に追われるし、自分に必要な勉強ができず、ずっとモヤモヤしていた感覚がありました。

中学3年生の時に郷中塾でお世話になり、憧れの鶴丸高校に入学した時は、「やればできる!」という自信がありましたが、入学して数ヶ月後にはその自信はゼロになっていました…

 
想像以上に辛い日々を過ごしていたんですね。
Kさんがそこまで追い込まれた原因は何だったと思いますか?
 

【C・Kさん】

うーん…

一言で言えば、学校の授業の「スピード」と「難しさ」に戸惑っていたんだと思います。

鶴丸高校の授業は、一度躓いてしまうと取り戻す時間も余裕もないですし、次から次へと先に進んでしまうので、あっという間に置いてけぼりにされてしまいました。

高校1年生の時ですが、授業中に説明された数学の公式や計算方法を理解できなくて、じっくり復習しようとしたら、次の日はその問題が解ける前提で応用問題を解かされていました。

予習と復習のサイクルに追われて、寝る間を惜しんで机に向かっても、定期考査では満足のいく結果を出せなかったです。

しかも、各科目の単元テストが毎週のようにあったので、ひたすら目の前のことに取り組むので精一杯でした。

 
自分のしたいことがあるのに忙殺されている、典型的な現役生という感じですね。
そんな状態だと成績を上げようにも上がらなかったと思います。
 

【C・Kさん】

その通りだと思います。

気づけば学年順位は100位前後を行ったり来たりでした。

得意だったはずの英語すら平均点まで落ち込み、当時の私が志望していた東京外国語大学も厳しい状況でしたね。

「私の行ける大学ってどこだろう…」

とずっと悩んでいて、自分一人ではどうしようもできませんでした。

だから、「中学校の時にお世話になった郷中塾なら、何とかしてくれるはず」という気持ちで面談をお願いしたのを覚えています。

久しぶりに会った宮園先生は、私の成績表をじっと見つめて、

「すぐに取り返せるから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

って言ってくれて、何とかなるんだと安心しました。

 
あの時のKさんは、真面目な子が陥りやすい典型的な「空回り」の状態でした。
学校から与えられる難解な課題を、すべて完璧にこなそうと努力していましたが、それはただ紙の上でペンを動かしているだけの「作業」している時間であり、本質的な「勉強時間」はほとんどありませんでしたね。
 

1−2.勇気ある後退―「基礎」を再構築する

 
入塾当初は、学校がどんどん先に進む中で、あえて「基礎レベルに戻る」という決断をしました。
今までと違った勉強方針に抵抗はありませんでしたか?
 

【C・Kさん】

正直に言うと、とても不安でした。

周りの友達が発展問題を解いている横で、私は英単語の暗記や英文法の復習、教科書レベルの数学を解き直してたので…

「基礎を復習しないといけない」

と納得していますし、わかっているつもりでしたが、いざ隣の席の友達が分厚い参考書を開いているのを見るたびに、

「私はこんなことをしていていいんだろうか」

という焦燥感がありました。

 
Kさんの不安は痛いほど伝わりました。
しかし、その当時、Kさんに必要なのは「新しい知識」ではなく、「知識同士を繋ぐ」ことだと確信していました。
多くの受験生は「何を覚えるか」という『点』ばかりに執着しますが、本当に大切なのは点と点を『線』で繋ぐ勉強法を確立することです。
 

【C・Kさん】

宮園先生との授業は、それまでの勉強法とは全く異なりました。

例えば、日本史の出来事にしても、「何年に何が起きたか」を覚えるだけでなく、「なぜ、その出来事が起こったのか」「その出来事の影響は何だろうか」という周辺知識まで、徹底的に言語化させられました。

最初は大変でしたが、バラバラだった知識がまとまっていく感覚が生まれてきて、一気に道が拓けたような気持ちでした。

1−3.「思考の型」を作る対話指導

 
では、具体的にどのようなペースでその「基礎」を再構築していったのか覚えていますか?
 

【C・Kさん】

宮園先生が立ててくださった計画は、基礎レベルを最速で仕上げるために私に合わせてくれてました。

高校2年生の前半は、学校の授業や単元テストと並行しつつ、国数英の基礎固めに注力する計画に取り組んでました。

あの当時、英単語を一対一の日本語訳で覚えるのではなく、その言葉が持つ本来のニュアンスや、文章構造の中での役割を深く掘り下げて覚えるのがキツかったです…

そのおかげで東大英語で点数が取れるようになったんですが、基礎固めって地味さな作業が多かったので、苦しい時間でした。

 
その基礎固めと同時に、問題演習では徹底的に言語化の練習しましたね。
自分の思考プロセスを自分の言葉で説明し、ズレを修正できるようになるまで、何度でも対話を重ねたのは、今となっては良い思い出ですね。
 

【C・Kさん】

あれはハードな勉強でした(笑)。

それまでは、なんとなく解いていた問題をとことん突き詰めて、論理的に解けるまで繰り返してました。

郷中塾の自習席で「なんとなく」をひらすら潰していく時間は大変でしたが、どんどん解けるようになる感じがあって、とても充実した勉強でしたね。

気付けば、あんなに遠かった英検準1級の壁が、基礎を固め直しただけで、驚くほどあっけなく越えられて、1回の受験で合格しました。

「私のやってきたことは間違っていなかったんだ」
「宮園先生の言う通り、徹底的に突き詰めたら簡単に成績が上がるんだ」

と、今までの自分の頑張りが認められた気がして、より一層勉強に気持ちが入りましたね。

1−4.「成績停滞」からの脱却

 
この「基礎」の再構築の期間が、後の東大受験にどう活きたと感じていますか?
 

【C・Kさん】

もし、あのとき焦って学校の進度に合わせていたら、私は間違いなく途中で潰れていたと思います。

高校2年生の1年間、宮園先生と地道に「基礎」を築いたことで、東大の過去問演習に入ったとき、どんな難問を突きつけられても「解けるはず」と立ち向かうことができました。

目に見える派手な成果こそ少なかったかもしれませんが、見えないうちに学力が上がってて、高校2年生の最後の模試では、当時の志望校だった東京外国語大学は合格できるレベルまで到達していました。

第2章:文武両道と「東大」へのステップアップ

2−1.覚醒の予兆ー「実力考査:文系3位」

 
高校3年生の6月実力考査で素晴らしい結果が出ましたね。
鶴丸高校文系で学年順位3位。
この数字を見た時の、率直な感想を教えてください。
 

【C・Kさん】

もちろんです。

今でも、あの日が転機だったんだろうなと思います。

実力考査で手応えはありましたが、そこまで伸びてるとは思ってませんでした(笑)。

難問演習には一切手をつけていなかったので、嬉しさ以上に「どうして?」という戸惑いの方が大きかったですね。

宮園先生から、

「やっと、ここまできたか!」

と言ってもらった時に、頑張ってよかったと心から思えました。

 
その結果を踏まえて、学校の先生から「東京大学はどうだ?」と言われたんですよね。
Kさんはその当時を振り返って、どんな心境でしたか?
 

【C・Kさん】

正直、恐怖に近い感覚でした(笑)。

当時の私にとって、東大は選ばれた天才だけが行く場所だと思ってたので、雲の上のまた上の存在でした。

だけど、本当に可能性が少しでもあるなら挑戦してもいいかなって気持ちが揺らいで…

すぐに宮園先生に相談しました。

「学校の先生から『東大を目指したら?』と言われましたが、宮園先生はどう思いますか?」

って聞いたとき、

「東大か…大丈夫、私(宮園先生)が合格させます!」

って言ってくれて、「私にも東大に進学できる可能性があるんだ」って実感できたので、そこから東大受験が視野に入ってきました。

 
当然ですが、簡単な道のりではありません。
ただ、Kさんと長い間一緒に走ってきた経験から、「私(宮園先生)が目指すべき方向を間違えず示せたら、合格できるポテンシャルを引き出せる」と判断しました。
 

【C・Kさん】

宮園先生が示してくれた東大合格への受験戦略は、精神論や根性論に頼ることなく、学校をうまく活用した論理的戦略でした。

「英語は9月までに記述力の基礎を固め、10月から過去問演習を通して苦手分野を発見して、集中的に伸ばす」
「苦手な数学は分野を絞って、解ける問題と解けない問題を切り分けていく」
「社会は10月までに暗記を終わらせて、高頻度で過去問の添削授業を受ける」

みたいに、具体的な受験戦略を共有してもらった時、私の内側で「東大に行きたい」という想いがどんどん強くなっていきました。

2−2.部活動が「9月引退」という十字架

 
ただ、東大を目指すと決めましたが、もう一つの巨大な壁がありました。
音楽部の引退時期が「9月」ということであり、他の部活動生が6月から本格的に受験勉強を進める中で、時間的制約が大きくのしかかりましたね。
 

【C・Kさん】

そうですね。

音楽部で部員たちと過ごす時間は、私にとって充実した時間でした。

でも、高校3年生の9月まで練習があるので、勉強時間の確保が難しい状況でした。

周りの東大志望者たちが、夏休みに1日12時間以上も勉強している中、私は部活動で勉強時間がとれていませんでした。

自習する友達を尻目に部活動を続けていたので、その疎外感と焦燥感は言葉にできないほど苦しかったです…

けど、宮園先生が

「部活動は最後までやり抜きましょう」
「受験戦略を修正しつつ東大に絶対合格させます」

と言ってくれて、その言葉に救われました。

 
受験指導のセオリーからすれば、9月まで部活を続けるのは無謀かもしれません。
でも、Kさんにとって音楽部の存在は、精神を支える柱でした。
それを無理に断ち切れば、心はバランスを崩して勉強の効率も著しく低下すると思い、最後まで継続してもらいました。
また、東大合格の受験戦略は一つではないので、部活動と両立することはできると判断しました。
 

【C・Kさん】

宮園先生から、

「限られた時間の中で、いかに集中の密度を高めるか」

という闘い方を教えてもらいました。

部活動を言い訳にせず、逆に、少ない時間の中で集中して勉強する習慣が身についたおかげで、引退後には培われた集中力やメンタルが大きな力になりました。

 
具体的に、部活との両立をどのように実現させましたか?
 

【C・Kさん】

 「隙間時間」の使い方が上手くなったと思います。

部活動の練習前のわずかな時間、通学中の自転車、自宅で過ごす時間など、隙間を見つけては暗記をしていました。

例えば、英単語なら派生語や文章まで丁寧に覚えていましたし、日本史や世界史はひたすら一問一答を繰り返し覚えてました。

紙とペンがなくてもできる勉強と、自習席に座ってじっくり取り組む勉強を区別していた感じです。

徐々にですが、郷中塾で自分の自習席に座った途端、周りの雑音が消えて目の前の問題だけに意識が集中していくような感覚になってきましたね。

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第3章:絶望の「数学3/80点」からの猛追

3−1.目の前に突きつけられた現実

 
合唱部をやり遂げて、勉強時間を確保できるようになった時期に実施された東大模試。
結果は、残酷なものでしたね。
 

【C・Kさん】

今思い出しても、胸がキュッとなります(笑)。

正直な話をすると、模試を受ける直前まで自信がなかったわけではありません。

部活動を引退してから、自分なりに死に物狂いで机に向かっていましたし、学校の休み時間も、食事中も、常に勉強してました。

でも、11月に返ってきた成績表には、

全体偏差値42.2
数学:3/80点
判定:E

東大を目指す集団の中で、圧倒的な最下位層でした。

もちろん東大対策が遅かったのもありますが、鶴丸高校内では成績上位にいたのに、全国の東大志望者の中では、戦う土俵にすら立っていないことを突きつけられました。

ただ、『数学3点』という数字を見たとき、「でしょうね…」と思いました。

だって試験当日、数学が解けなすぎて「あ、終わった…」って絶望してましたから。

 
あの成績表を持って塾に来た時のKさんは、助けを求めているような表情でした。
でも、私はその「数学:3点」という数字を見ても特にショックはありませんでした。
東大対策が本格化してまもない時期でしたし、できなくて当然と伝えましたね。
 

【C・Kさん】

当時、宮園先生へ報告にいく足取りが重かったですよ(笑)。

「部活を9月まで続けたツケが来たのかな…」
「私に東大は無理だったのかな…」

みたいに自分自身を否定されたような絶望の淵に立ってる気分でした。

だけど、宮園先生が私の答案用紙を見ながら筆跡を一つずつ確認して、

「着眼点は伸びてるけど、解答の進むべき方向性が定まる前に書き出しているので、途中で迷子になってますね。」
「やれることは増えてますが、まだまだ足りないので頑張ろうね!」

と言われて「本当に宮園先生はよく見てくれてる」って思いました。

3−2.絶望の中にある「希望の光」

 
私(宮園先生)から、「少なくとも今回の数学は、あと21点は取れたね」と言われた時、どんな気持ちでしたか?
 

【C・Kさん】

最初は慰めてくれてるのかなと思いました(笑)。

でも、先生は冷静に答案用紙を見せながら、

「ここを見てください。問題文のこのフレーズを見落としています。これは『(x,y)の範囲を決める条件』です。今、この条件があると思うと、何をすべきか分かりますか?」

と問われて、「あ、そうやって見たら良かったのか」とすぐに理解しました。

 
模試の点数や判定だけで一喜一憂する必要はありません。
受験本番で東大に合格するために、何ができるようになって、何が課題として残っているのか把握するべきでしょう。
 

【C・Kさん】

宮園先生は、感情的に「頑張れ」と応援することなく、論理的に「なぜ点数に繋がらなかったのか、どうすれば追加で1点が取れたのか」を細かく指導してくださいました。

「模試の結果が『自分の価値』だと判断しないでね」

と宮園先生から言わ続けていた意味がわかりました。

もし、判定だけ見て感情に流されたら、そこで心が折れて東大受験を諦めていたと思います。

その模試の分析が終わった後は、私の心の中にあった不安や絶望が、克服すべき具体的な課題に変わっていて、モチベーションが逆に上がっていましたね。

3−3.狂気的な過去問演習

 
そこから始まったのが、まさに「狂気」とも言える凄まじい過去問演習ですね。
私が目標とした演習量について、当時はどう思いましたか?
 

【C・Kさん】

「やるしかない」って気持ちと、「やり切れるの?」という不安な気持ちがありました。

宮園先生が掲げた演習量の目標は、

国語15年
英語30年
数学10年
日本史30年
世界史30年

でした。しかも、これを解いて解説を見るだけで終わらず、全て添削して解説授業するので提出しないといけませんでした。

演習日や授業日について計画を立ててくださいましたが、解いても解いても終わりが見えない演習量でしたね(笑)。

それまでの私は、過去問演習の認識が「直前に実力を測る」「出題傾向を知る」だと思っていましたが、全然違いました。

 
正答か誤答かなんて正直どうでもいいと思っています。
「なぜこの接続詞を選んだのか」「この歴史的事象を記述する際、なぜこの背景を省いたのか」など、Kさんの思考プロセスを徹底的に分析してズレを発見し、私(宮園先生)の思考プロセスをインストールしてもらっていましたね。
 

【C・Kさん】

あの授業はついていくのに必死でした。

授業が終わる頃には、知恵熱が出るほど脳が熱くなってた気がします。

過去問演習→先生の添削→1対1の解説授業→復習

というルーティーンを10月から東大受験2日前まで続けましたね。

最初は何も書けませんでしたが、冬頃には少しずつ書けるようになってきて、合格点を越える日が増えてきた感動を覚えています。

もちろん、苦しくなかったと言えば嘘になりますが…(笑)。

第4章:絶望からの生還と希望の光

4−1.最後の共通テスト模試で「C判定」

 
「数学:3/80点」という衝撃的な秋から数ヶ月が経ちましたね。
当時並行していた共通テスト対策の結果はどうでしたか?
 

【C・Kさん】

手元に成績表が届く前、私は期待と不安が交互にグルグルしていました。

鶴丸高校から「共通テスト対策はしなくていい」と言われていた中、郷中塾で東大対策の合間を縫って共通テスト対策もしていました。

そんな中で返却された結果はC判定。

あれほど遠かった東大の背中が、初めて手の届く距離に見えた瞬間でした。

少しだけ安堵はしましたが、『合格圏内に入った』だけであって、『合格を約束された』わけじゃないので、ここからが本当の勝負だなという気持ちでしたね。

4−2.共通テスト854点という自己最高点数

 
そして迎えた共通テスト本番ですが、どうでしたか?
 

【C・Kさん】

宮園先生が受験当日に応援に来てくれて心強かったです!

あまり緊張せず受験できましたし、共通テストが終わってからも精神的に落ち着いていました。

そして受験翌日に自己採点したとき、自分の目を疑いました。

合計:854点

宮園先生と「共通テストが850点以上なら東大文三を受験する。その点数未満なら受験希望者数を見て最終判断する。」と決めていたので…

その目標点数を超え、東大文三の受験が一層現実的になりました。

内心、「850点取れなかったら東大は諦めないといけないのかな…」って不安だったので、とてもホッとしたのを覚えています。

特に、苦手意識のあった数学は目標の150点を超えて、国語・英語・日本史・世界史も9割以上の点数が取れました。

 
これは、単に運が良かったで取れる点数ではありません。
Kさんの基礎固めによって「点数が上下する不安定さ」が無くなり、基礎力と思考力を問われる共通テストにおいて、完璧な形で結実したと思います。
 

【C・Kさん】

鶴丸高校では、共通テスト対策はしなくても大丈夫だと言われていますが、郷中塾で共通テスト対策に取り組んでて本当に良かったです。

特に数学は出題形式が独特なので、早いうちから演習を重ねて克服したからこそ、目標点数以上が取れたんだと思います。

また、日本史や世界史や資料読み取りが難しいと感じていたので、共通テスト形式の問題を解いては訂正を繰り返した甲斐がありましたね。

4−3.共通テスト後の「ラストスパート」

 
共通テスト後の1ヶ月間、東京大学文科三類の二次試験に向けたラストスパートはどのようなものでしたか?
 

【C・Kさん】

東大文三を受験すると決めた時は、「不安」という感情が入り込む隙間はありませんでした。

その当時、宮園先生との「合格点をいかに取り切るか」という、緻密な計画と今まで通りの添削指導だけでしたね。

先生との最後の特訓で印象に残っているのは、

「綺麗に書こうとしないでください。Kさんは要素の取捨選択で間違える可能性があるので、整合性だけ意識して盛り込んでください。」

って言葉です。

この言葉のおかげで臆病にならず、最後まで攻める姿勢を貫くことができたと思います。

添削指導で、国語や英語では「てにをは」の細かい表現まで赤ペンが入って、日本史や世界史では「どの語句を優先して配置すべきか」を、東大教授の採点基準まで明記されたアドバイスがあったので、その基準を念頭に置いて徹底的に詰めました。

 
最後の最後まで気の抜けない戦いでしたね。
部活動で培った集中力やメンタルは最大限活用できましたか?
 

【C・Kさん】

はい。

共通テスト後も学校は変わらず、今までのように宿題や予習もたくさん出ていました。

その限られた時間の中で東大対策をしないといけないので、部活動の時に培われた集中力が最後の一押しになったと思います。

9月まで部活を続けたことで時間的な制約はありましたが、悪いことばかりではなかったです。

私は、宮園先生という最高の先生と一緒に、自分でも想像しなかった高みに挑戦できたんだと、受験直前期は改めて感謝しました!

第5章:勝ち取った「東大合格」という未来

5−1.東大入試本番、「不安」と「期待」

 
2026年2月25日の東大入試本番1日目。
本郷の赤門をくぐった時の心境はどうでしたか?
 

【C・Kさん】

当日の朝は、緊張しているのに落ち着いてて、不思議な感覚でした。

正門に向かう道中、周りの受験生が皆、自分より優秀そうに見えることもなく、緊張に飲まれることはなかったです。

試験開始の合図が鳴って問題用紙をめくった瞬間、驚くほど冷静な自分がいました。

ただ、今年は数学と英語が難化したらしく、この2教科だけは本番中にパニックになりました(笑)。

「英語が全然解き終わらない…」
「数学難しすぎて空欄がある…」

と思ってました。

東大受験後に宮園先生と電話したとき、「私(宮園先生)も試験問題を解きましたが、今年の数学と英語は難しいですね」との感想をもらい、

「数英は点数差が開かない」
「今年は国社の勝負なので、まだ勝ち目がある」

という分析をいただき、不安と期待が混ざった状態で合格発表を待つことになりましたね。

5−2.合格発表当日、「合格」の二文字

 
冒頭の合格発表へと繋がるわけですね。
「東大文三に現役で逆転合格」
受験勉強を終えて、郷中塾での日々をどう振り返りますか?
 

【C・Kさん】

一言で言えば、「郷中塾じゃなかったら、東大合格は絶対できませんでした」です!

多くの学習塾がありますが、郷中塾ほど先生と親身に話ができる塾はないと思います。

宮園先生は、塾生一人ひとりの思考の癖や苦手分野などを完全に見抜いてて、自分でも気づかなかった思考のズレを指摘してくれます。

自分に合った指摘や戦略を教えてくれる環境は、大手塾では難しいかもしれません。

あと、宮園先生の戦略眼は、もはや芸術的です(笑)。

私の「数学:3/80点」という数字を見て、普通なら「数学を基礎からやり直せ」と言うと思いますが、先生は「数学はコスパ重視で時間をかけずに、その分を国英日世で取り返しましょう」と判断になりました。

個人の性格や実力、志望校の特性を総合的に分析して、一人ひとりに勝てる戦略を構築してくれるのも、郷中塾の魅力だと思います。

 
せっかく大変な受験勉強するなら「勝てる未来」にワクワクしたいですよね。
受験戦略や自習環境などを整えてますので、Kさんが最高のパフォーマンスを発揮できて本当に良かったです。
 

【C・Kさん】

郷中塾の自習室は、みんなが自分自身の限界に挑んでいる環境だったので、その環境のおかげだったと思います。

だらだら勉強する人がいなくて、張り詰めてるけど心地よい緊張感がありました。

同じ東大を目指している人が朝から晩まで机に向かっている姿を見ると、「私も頑張らないと!」って気持ちがありました。

鶴丸高校で学年100位だった私が、折れることなく東大合格まで駆け抜けられたのは、郷中塾が「逆転は可能だ」ということを、戦略と実績で証明し続けてくれたからです。

本当にありがとうございました!

おまけ:後輩たちへのメッセージ

 
では、最後の質問です。
東京大学などの最難関大を目指す後輩たちに向けて、メッセージをお願いします。
 

【C・Kさん】

模試の結果が悪かったとしても、気にしなくて大丈夫だよと伝えたいです。

学年100位でも、数学が3点でも、志望校が日本一の大学でも、必ず合格する道はあります。

そして、信じられる先生を見つけてください。

自分一人では気づけない「思考の癖」や「自分の力を最大限発揮する方法」を教えてくれてる存在です。

私にとって、それは宮園先生であり、郷中塾でした。

宮園先生にも言っていただきましたが、

「この1年でKさんの人生は変わった」
「これが未来を掴むということです」

うまく言葉にできないですが、このワクワクした気持ちを後輩たちにも味わってほしいです。

おわりに

いかがだったでしょうか。

Kさんの合格は、一見すると奇跡とも呼べる大逆転合格でしたが、その裏には「緻密な受験戦略」と「膨大な演習量」が下支えしていたのを感じることができたと思います。

あなたも東大に行きませんか?

覚悟と熱量があれば、日本最高峰の大学だろうと勝てる戦略があります。

人生を変えたいなら、郷中塾にお問い合わせください。